BlogLITSTAの日常

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LITSTAをつくる、ふたりのものがたり。

2020年12月10日 / Blog

LITSTAをつくる、佐藤祐樹 由香里の夫婦ふたり。

2010年も終わろうとするころ、
LITSTAのものがたりがはじまりました。

ものづくりを学びアパレルにつとめ、たくさんのアイテムを作ることにかかわってきたふたり。
たくさんの素敵なものに出会いました。

はるか遠くの国で作られたもの。
見惚れるほど素敵なデザインのもの。
職人が丹精込めて作ったもの。
自分たちが生産にかかわったもの。
服、靴、バッグ、スーツ、暮らしの道具。
たくさんの素敵なものたちを丁寧に使うことは、それはそれはとても刺激的でした。

ものは、形や色だけで出来ているのではない。
縫い方や、設計の仕方、作る地域、作るための設備、手の加減によっても同じものが全然違った表情に仕上がる。
モノって、本当にたくさんの要素が集まって重なって出来ている。

でも、
ときに管理者として生産にたずさわるものが思ったように仕上がらないこともあった。
そうじゃない。こういうふうに作ればもっと素敵になるのに。
はがゆく、悔しい思いもいっぱい。
ものを形作るすべての工程を自分でできたら、どんなに素敵だろう。

その想像が膨らみ、いつしか自分の手から自分の納得のいく、本当にほしいものを作りたいという理想をもつようになったのです。

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どこを見ても愛おしく、長く愛せるもの。
無機質でない、作り手の息づかいの感じられるもの。
無骨であり、でも繊細でもあり、長く使う間に色んな表情を見せてくれるもの。

そんな理想が頭の中で渦を巻き始めたころ、ふたりは転機を迎えました。
一瞬のような、短い間のできごと。

ふたりは自分たちの店をつくることになりました。

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ふたりの決意と覚悟
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そのほんのすこし前のこと。
アパレルから離れ、つくりはじめた自分たちのアイテムをどうやって世の中に発信していくのか。
ただ良い物を作れるだけ、なんのつてもないふたり。
取り扱ってくれるお店を探すのか。
ウェブショップをつくるのか、どうすればいいんだろう。
でも、手に取って間近で見てもらうことこそ、自分たちの作ったもののパワーが伝わるはず。

そんな時にふと手に取った雑誌。
その中にあった東東京の特集にほんの小さな写真で紹介されていたのが2k540の開発でした。
いろんなところで高架下を再開発しているのは、聞いたことがあったなかで、
2k540は、ものづくりがテーマ。
お店で商品を作る、アトリエショップを募っていました。


(写真 : 募集していた雑誌の2k540完成イメージ)

開発していたのは、高架の持ち主ジェイアール。
まだスタートを切れていないふたりが出店を申し出るには、あまりにも大きな相手に緊張しながらもプレゼンをしに行ったのは雑誌を見てからすぐのこと。

プレゼン当日、新宿にあるジェイアールの大きな社屋。
裏手にある『ルノアール』でその社屋を眺めながらプレゼンの時間を待った。

とても大きなビルに驚いたことは今でもはっきり覚えている。
そして、ビルへの入館証がSuicaということにも驚いた。
まだまだアイテムがなかったふたりは必死でサンプルを作り、ポートフォリオにまとめた。
そしていくつか実物も持参し、話を聞いた。

すでに募集は終わり、ひととおりお店が決まった後でした。
が、1店舗急遽空きが出来てしまったところでもありました。

そのタイミングの良さと、ふたりがやりたかった想いが合致した気がした。

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実はそのころ、祐樹は就職活動中。
通っていた専門学校の先生の紹介で会いに行った革の工場。
渡されたパターンで制作したものにダメ出しをされたそうだが、アルバイトに誘ってもらったという。

それと同じころ、ジェイアールから連絡が来た。
出店が決まった。

アルバイトの誘いを断った祐樹と、お店を出したかった由香里は

お店のノウハウどころか、開店・運営のためのお金の計算などよくわからないのをいいことに、
情熱と勢い、それだけでスタートを切りました。
毎月お店を切り盛りするのにかかるお金と、自分たちが暮らしていくお金。
その分よりもひと月で多く作れれば大丈夫なはず。
お店だって、自分たちで作ればいい。
だって、なにかを形にすることは大の得意なんだから。

ここからふたりは、怒涛の日々を送ることになる。

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ふたりに与えられた『L-3』という区画。
白い壁と、入り口付近の丸い柱。
どこか寂しげなこの空間も、ふたりの手にかかれば、
あたたかくて、居心地のいい、ここでしか味わえない空間になる。

聳え立つこの柱、
JRの高架下という立地だけあって、線路を保つ大事な柱なのだ。
これからこの空間で生まれるさまざまな会話と、ものづくりをしていくふたりの覚悟を
この柱が見守ってくれるかのような、そんな気がして。

冷たかった白い床も、一から木材をはめ込み、この通り。
歩くたびに『キシキシッ』となる木の音も心地いい。

お店を持つことを決めたふたりに与えられた準備期間は、3か月程でした。
お店に並べる商品を作る時間もほんのわずか。
それからは起きている時間はずっと作り続け、なんとかひととおりの見本を作り上げ、
すべて受注制作で革小物を作るお店としてオープンしたのが2010年12月10日。

Life Is The Stage To Act -人生は演劇の舞台である-

この頭文字をとって『LITSTA』と名付けました。

自分たちの作ったものを使うひとの人生が演劇の舞台だとしたら、
自分たちはその舞台をすこし楽しくできるような、
主役を彩れるような、
そんな小道具を作っていきたい。

そんな想いを込めました。

開店直後、もし注文がなかったら翌月の家賃を払えないほど、ギリギリ・ドタバタなスタートでした。

やるからには本気で。
だからこそつらかった。
ダメだったら止めるしかないけど、ダメなところまでやりきろう。

ただ、ひとりじゃなくて由香里がいたからメンタル的に楽だった、と。

当時を振り返り、祐樹はそう答えてくれた。

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お店を初めてわずかの間に、ふたりのつくるものに共感・信頼してくれる人への出会いを重ね、注文が増えていきました。
ほんとうに嬉しく、期待にこたえたいと奮い立つ毎日だったそう。

はじめての注文は、名刺入れ。

初めてのオーダーシート。
嬉しさのあまり慌てすぎたのか、日付を書く場所を間違える由香里。
今では冷静に着実に物事を進める由香里からは想像できない、なんとも微笑ましい出来事。

そして、バッグの注文が初めて入った日のことは、
一生忘れない。

ふたりはそう答えてくれた。

注文の入ったものを、一針入魂。作り続けました。
それは、今もずっと続いている。

開店当初からフルオーダーで望むものを提供していたふたりも、
自分たちがデザインしたものを気に入って買ってくれる人の方が長くLITSTAを愛してくれると判断したのが2012年。
店のオープンからの思い入れのあるアイテムかつ、オーダーしやすい財布は店の象徴として残しながら、
レディーメイドのアイテム群の充実を目指していくことに。

何度かの改良を経て現在に至るモデルも、たくさんの方に喜ばれ愛されている。

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ものづくりがテーマの2k540には、一期一会を求め多くの方が来る。
ひとも、ものも、すべてが出会いだと感じさせてくれる場所。

ありがたいことに、取材も何度か受けることもあった。


(左 : 散歩の達人 2011年 No,179号 / 右 : 東京ウォーカー 2013年 No,11号)

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(Creema Handmade Style Book 2018)

こうして雑誌の取材でとびっきりの笑顔を見せる由香里も、
なかなか取材で顔を出さない祐樹も、
自分たちで作った大切なアイテムたちが誰かの手に渡ったときはすごく嬉しそうにしている。

それは、これからもずっと続く光景。

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ものをつくるということ
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ものづくりはほんとうにおもしろい。
辛い、苦しいと思うことも多い。
生むことは、楽しいだけでは出来ない。

ものづくりをして暮らすことはのんびりと愉快なようにも見えるけれど、
そうかもしれないし、そうでもないかもしれない。

由香里に以前聞いた話で、

すごく前のこと、
「こんなおいしいパンを作るパン職人は、本当に素敵でパン作りを楽しんでるんだろうな」と言った私に、友人は言いました。
「楽しんで作ってるかもしれないし、辛くてしょうがないけどパンをおいしく作れてるのかもしれない。
けど、それはパンからは伝わらない。
自分たちにわかるのは、ただそのパンが素晴らしくおいしいということ」と。
楽しんで作ったことただそれだけで、良い物にはならない。
苦しんででも良い物を作るのだ。

おそ松くんの作者・赤塚不二夫さんがおっしゃってたこんな言葉。
描いてる自分が一番楽しい。読者が読んでるのは俺の屁みたいなもんだ。と。
使う人に言う必要はないけれど、それもそのとおり。

ものを完成させた時の爽快な達成感

_投げ出したくなる気持ち

飛び上がるほど嬉しい時

_落ち込んでどうにもならない瞬間

なにかいいものが作れそうで、止まらないにやけ

手放しに楽しいわけじゃない。

素敵な時間もそうでない時間も、次から次へとやってくる。

それら全部に魂で、全力でぶつかっていったら、お気に入りでいっぱいになっていた。
そう、ものづくりはほんとうにおもしろいのだ。

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魂を込めて全力でぶつかる大変さは、
日々ふたりの背中を見ているとつくづく感じる。

これをずっと続けることがいかに大変だったことだろうか。
肉体的にも、精神的にも。

でもきっとふたりにとって、
そんなことはどうでもいいのかもしれない。

だって作ることが愉しいのだから。

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自分たちで作ったものが幸せになるにはどうしたらいいのか。
自分が幸せな気持ちで作って満足したら、作ったものそのものは自然に任せればよい?

そうは思えない。
それは、人に求められ、ものとしてのお勤めを果たすこと。

自分の作ったものは、どうしても自分の子のような気になる。
アイテムたちの名前はアトリエではよく’さん’付けで呼ぶし、
使い手と出会い、アトリエから巣立つときにはお嫁に行ったな、、と思う。

ものを作るからには、その子たちを幸せにしてやる責任がある。
だから、なんとしても使い手に求められ、添い遂げられるものに仕上げてやらなきゃならない。

ものと使い手が一緒にいることでより素敵な時間が過ぎるように。
それは使い手とものの両方を思いやることだと、そう思うのです。

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ものは手と、そして頭が作る
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2k540のオープンとともにはじまった、真新しい、ちょっと変わった暮らし。
周りを見渡せば、ジャンルは違えどみなものづくりのプロフェッショナル。

昼間はものづくりの手を動かしつつ、お店を切り盛り。
夜になれば、どこからともなくものづくり仲間が集まる。

 

どんなものをつくろうか、とか、とまらないおしゃべりをしながら夕飯を食べ、
またそれぞれのアトリエに帰っていく。
職人は夜、集中力の極まりをみせるのでした。

職人であるふたりは、あらたまった打ち合わせや企画の時間を設けない。
そんなことをしなくても、どちらからともなく何かを思いついたときに
次の企画会議が始まる。
毎日、視界に入るもの。耳にする音すべてが次の商品の起点になっている。

由香里が特別好きな時間は、作業に集中している時間。
集中力が高まり気持ちがいいのだという。
ふっ、と周りが視界から消えるくらい集中したら、楽しみのはじまり。
ほんの少し前には頭にあった
「トイレットペーパーを買わなくちゃ」なんてことも
そうなったらしばらく由香里の頭に戻ってはこない。

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ふたりにとって自分たちのお店は
新しい発見や、感覚、視点と出会う特別な世界。

自分たちのつくるものを、違うものづくりをしてる人が見て、違った見方を知れる。
自分の作りたいものが徐々に形になっていき、また次の理想が見えてくる。

お店を始めた頃、つくるものに自分の理想を詰め込むのに夢中だった。


最高の素材
たくさん詰め込むテクニック
どこにもない個性的なもの

それは作品としてとても理想的だったけれど、決して手に入れやすいものではなかったのかもしれないと気づくのは少し後のこと。
自分がうっとりできるかどうかと、売れるかどうかは、比例しなかった。



まだ見ぬ素敵なものを探しては収集するのが大好きだった由香里。
どんなに高くっても、
周りに誰も持ってる人なんかいなくて最高に素敵なもの、
オーダーした自分だけのもの、
どうやって作られてるのか、想像するだけでワクワクするもの。
そんなものたちを手に入れて、使い、感じ、隅から隅まで眺め、
使い倒したなら分解して構造を分析する。

間違いなく今の由香里の土台となったこと。

最高に大好きなものたちを超えるものを作ったら、みんな欲しがるに違いない。
みんなにも理想を見つけたと思ってもらえる。


でも、思っていた反応とは少し違った。





人はみな、生きていく中での優先順位が全く違う。
1万円の食べ物と、1万円のTシャツのどちらが高く感じるかはみんな違う。

どんなに最高の素材でも、重いバッグは毎日持てない。
どんなにたくさんの素敵なテクニックが詰まっていても、予算に見合わなければその出会いは眺めるだけで終わってしまう。
どこにもない斬新なものは、どう使っていいかわからないもの。

自分の理想に潜んだネガティブなことに気づいていった。



作品は自分の理想を具現化するもの。
商品は、使い手を思いやるもの。
そう気づく。


自分たちは、アイテムを作ってお嫁に出すところまでが仕事。
でも使い手は長い時間、そのアイテムとの時間を過ごす。
その時間を知ることはなかなか出来ないけれど、それがより良い時間になるようシミュレーションすることはできる。
それを元に、素材やデザイン、構造を考える。
それがおもいやることだ。


自分以外の人を知る事が、言いようのない喜びになっていった。
それが人を喜ばせることにもなる。
今までは自分ばかりを喜ばせていたのかもしれないと、肩の力が抜けていき、
少し進化した心地よい理想と向き合っていくようになった。


試作したものを必ず使い、検証し、改良してから商品にすることはもともとしていたけれど、
より一層使い手の声に耳を傾けるようになった。
できればその声の一歩先に行きたいから。



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今の理想を言葉にするとしたら、と聞くと、

〇私たちだからできる発想で生まれるデザインや美しさ、ギミックの面白さで
 使い手の日常に喜びや驚き・彩りが生まれること
〇私たちの培ってきた技術で形作る所作で、
 使い手がとびきり気分が良いということ

全力で向き合え、楽しめ、とてもしっくりきているよう。


ものは、デザインや素材・設計・作る設備などの環境・作り手のさじ加減などたくさんの要素で出来ていて、
それらすべてを駆使して理想を形作っていく。
正直に、新しい良い物を生み出していくのは、長い時間がかかる。
テンポが良いとは言えないけれど、そうやって作ったものしか送り出したくないのです。



良いものを作りたいという気持ちは最初から変わらない確固たるもの。
でも、柔軟なふたりはたくさんのことを吸収し、毎年新しいことに挑戦してきた。
同じような変わらない年は一度としてない。
変わらぬ信念は、変わり続けることで守られる。

来年はどんな年になるのだろう
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原点 - オシャレのためのものづくり -
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由香里にとって小さなころから、作ることは遊びだった。

作ることはやがて勉強することになり、

ライフワークになった。



何を最初に作ったかは覚えていない。
けれど、小学校の夏休みの工作はテディベアを縫った。

中学校に行けば美術室で油絵を描き器を作り、家に帰れば母親の編み機でニットを作った。

高校では私服で通うために洋服を作りはじめた。

自分で着るためだった服も、文化祭でショーをするため表現のツールになり、そしては友人を喜ばせるために作るようになり、どうしたら自分の作ったもので人が喜ぶかを真剣に考えはじめたという。



のめり込んだら止まらない、それが由香里の性格。
そのまま服飾の専門学校へ迷わず進学。
洋服漬けの毎日。
その中で少し思考が変化していく。
洋服やものってデザインで出来てると思ってたけど、どうやら違う。
生地のミクロな繊維の重なりや、構造を作る組み立て方、力の抜き加減、完成したものを変化させるための加工、そしてそれらをどんなマインドで束ねあげていくのか。
そんな、原子のような小さな要素を巨大な集合体にしてこそ素敵なものが作れる。
しかもそれは、一回では出来ない。
何度も、気の遠くなるような検証と修正が欠かせない。

なんて楽しいのだろう・・!



同じ頃、革に出会う。

休日に別々に買い物に行ったにも関わらず同じ靴を履いて月曜日に顔を合わせ驚くような、好みのとっても合う友人が由香里にはいた。
そんな彼女が、お揃いで買ってきてくれた革のブレスレット。
濃いピンクと淡いピンク・深緑の細い革が美しく編み込まれ、手首を二周まわりバックルで留めるそれは、ふたりのお気に入りになった。



毎日のようにお揃いでつけていたある日、彼女のブレスレットだけ無くなった。
どこかでなくしてしまったのだ。
それからというもの、私が付けているブレスレットを見ては惜しい気持ちを口にする彼女を何とかしてあげたいと思った。

でも、それはもう完売。

なら作ろう、と。

彼女は、そう。喜んでくれた。

それどころか、他の友人たちからも作って欲しい!と、ブレスレットはどんどん進化していった。
オリジナルのデザインも増え、人づてに知らない人にまでたくさん渡っていった。
そのちいさな売り上げは、すべて道具へと変身。

由香里の小さなアトリエのはじまりでした。

それから出会ったものすべてが由香里の大切な宝物。



革の質感に目覚めたのは、このエンジニアブーツ。
素材感丸出しなのが好き過ぎて、自分のもとに来た時には世界を手に入れた気分だったという。



革と真鍮の組み合わせのおもしろさだって、このmunoz vrandecicの靴が教えてくれた。



ジェイアールのプレゼンに来ていったストライプのスーツも、
今では大切な戦友みたいなものかもしれない。

バッグもブーツもストールだって、それぞれのテクスチャーが今の原点とも言えて、
出会ったものすべてに意味があると、そう教わったような気がする。


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冒頭の『たくさんの素敵なものに出会いました。』とはまさにこのこと。
ここには居ないけれど、この素敵なものたちに引き合わせてくれた人たちとの出会いもたくさん隠れている。

ひとに出会い、ものに出会い、
たくさんの素敵なものに出会ったふたりにしか作れないLITSTAというカタチ。

2010年にはじまったふたりのものがたりも、
2020年12月10日で丸10年を迎える。


これからどんな未来がやってくるのだろう。


想像なんて今は出来ないけれど、
この先も、ふたりの作る姿を見続けていくんだろうな。





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2020|12|10